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 「磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る 波浮の港は 夕やけ 小やけ」の野口雨情作詞、中山晋平作曲の歌で知られた『波浮の港』は、1800年(寛政12年)江戸幕府の事業として、上総の人、秋廣平六の進取に満ちた開拓精神によって開かれた、伊豆大島最南端にある「風待ち港」(避難港)である。東京都に属しながら「伊豆大島」と呼称される大島は、伊豆七島の北端に位置し、伊豆稲取から約20kmの至近距離にあり、活火山の三原山と全島椿に被われた「常春の島」として知られている。

 『波浮の港』は「大室出し」という世界有数の漁場に恵まれ、戦前戦後にかけて、日本全国から集まった漁船が幾重にもつながれ、一時は人口比で、遊女とタバコ屋の数が日本一、土地の値段も日本一といわれるほどの隆盛を極めた。農業でも、人々は努力と工夫を重ね、ホルスタイン牛の品表会で日本一に輝いたこともあった。巾着形の美しい天然の良港『波浮の港』には、明治、大正、昭和にかけて、名だたる文人、墨客が訪れ、貴重な文学作品や絵画などを残している。

 また、港の入り口には大國(おおくに)主命(ぬしのみこと)の第一皇子、事代(ことしろ)主命(ぬしのみこと)の第一后を祀る波布(はぶ)比(ひ)命(め)神社(じんじゃ)があり、筆島海岸にはキリシタン禁止令により流刑されたオタア・ジュリアの碑があるなど、多くの信仰の歴史も刻まれている『波浮の港』のその素朴な佇まいには、訪れる人を温かく包み込む優しさがある。そこに住み、生活している人々は、この港の自然と生活を愛し、漁業や農業、観光等の産業を営みながら、代々港を守り、現在に引き継いでいる。

 しかし、時代の大きな変動の中で、『波浮の港』は、現在では、過去の栄光を忍ぶよすがも、日々失われようとしている。私共は、『波浮の港』の持つ自然の景観やそこから生まれた文化、歴史、人々の暮らしを心から愛し、21世紀を展望し、波浮港を新たな形で次世代に残すことが出来るよう、日本及び世界に呼びかけ、『波浮の港』の再生・復興を支援するため、『波浮の港を愛する会』を設立することとした。一人の力は、決して大きくはないが、一人一人の力を広く集め、確かで、持続的な『波浮の港』の再生・復興の願いが大きなうねりになり、発展することを願ってやみません。波浮の港を愛する多くの方のご協力と会への参加をお願いする次第であります。

平成 16 年 1 月 波浮の港を愛する会

(C)2006 波浮の港を愛する会